岡部宿の成立 ◆
 岡部は、歴史の古い町である。「伊勢物語」の「蔦の細道」、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」岡部の記述は、あまりにも有名であり、その時代の歴史をうつし出す鏡となっている。
 戦国期の岡部は、他のいずれの地方に比べてもまさるとも劣らないほど賑わっていた。それは、国人といわれる朝比奈氏や岡部氏が、ここに居住し、小規模ながら地方武士団の中心として、今川・武田・徳川などと時には結び、時には離れて活動していたからである。このため、人や軍勢の移動がはげしく、交通路の整備は、必要不可欠のものであった。





◆ 江戸時代の岡部宿 ◆
 近世の岡部宿に関する最古の史料は、慶長7(1602)年6月「徳川家康奉行衆連署伝馬定書」であり、この時期に東海道宿駅制度により、岡部宿が成立して宿駅の業務が行われた。県内22宿の中でも規模の小さい宿場であったが、小さいながらも年々栄えていった。だが反面、東海道の往来が激しくなるにつれて幕府の命令で公用荷物や人を運ぶ人足や馬を多く出さなければならず、人口の少ない岡部宿は大変だった。宿駅になった当初は36人、36疋の人馬の用意が義務づけられていたが、参勤交代が定着しはじめた寛永15(1638)年には、100人、100疋の人馬の用意を強いられた。人馬調達のために隣村の内谷村を加宿に定め、分担するようになった。



◆ 宿場の様子 ◆
 岡部宿は横町、本町、川原町の三町しかない小さな町であったため、南隣の内谷村を加宿とし、問屋は宿の本町と加宿の内谷で交代でつとめた。宿内には旅籠の他に、茶店・米屋・菓子屋・籠屋・古着屋などの商店もあり、また茶商売を営む商店もあったが、天保14年の調べでは家数487、旅籠屋27、本陣2、脇本陣2であり、家総数に対する旅籠屋の数が5.5%と他の宿場の中でも低く、町全体の機能は宿にそれほど依存していたわけではなかった。宿に住む者は、男の場合は日雇稼ぎや薪ごしらえ、女は木綿を織る仕事や、旅籠に働きに出かけていた。農業をする者もいたという。

【岡 部 宿 絵 図】
(東海道分間絵図 第八巻)
東京国立博物館所蔵
東京美術二刊行