◆ 大旅籠「柏屋」◆ 詳細
 江戸末期に創建されたこの大旅籠「柏屋」は、当時のまま修復されてながら現代まで住宅として利用されていました。町では、これを整備して岡部宿場の情報発信の拠点としています。
 「柏屋」は敷地面積約7,750平方メートル、木造2階建ての母屋と土蔵2棟からなり、岡部町が「東海道岡部宿歴史のふるさとづくり推進事業」で取り組み建設されました。
 柱や土壁などを極力再利用、古い軒げたが裏の水路の橋として使われているなど、昔の建物の材料が捨てられずに残されたおかげで、かなり忠実な復元となっています。母屋の他には、土蔵2棟をギャラリー、レストラン、物産販売棟となります。


◆ 岡部宿本陣跡 ◆

◎有形文化財(史跡)

指  定

昭和48年4月1日

所 在 地

岡部831

 元禄3年(1960)久貝因幡守(くかいいなばのかみ)が道中取り調べに来た際、内野家に本陣職を命じた。
 本陣は間口15間(一間は1.8m)、奥行29間余、建坪174坪余で、総畳数129畳半。他に勝手や住居40畳ほどがあった。
 将軍稲荷と井戸が住時の姿を今にとどめている。


◆ 岡部宿跡の家並 ◆
 古い東海道の家並みが残る内谷地区。

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◆ 西行法師笠懸の松 ◆
 
岡部に入るまでの右手崖上に、西住笠かけの松というのがあったが今は枯れてしまった。謡曲「西行西住」後半の舞台である。西住と西行とは、若い頃はともに鳥羽上皇に仕える北面の武士であり、出家後はその死に至るまで修行の友であり歌友でもあった。二人は相とまなって東国の旅に出たが、天竜川の渡しで、武士が西行に乱暴したのを、たまりかねた西住が武士をうちこらしめたが、出家にあるまじきふるまいとして、西住は西行に破門されてしまった。別れに際し、西行から笠と筆跡を形見としてもらい、ひそかに師のあとを慕って岡部まで来たが、遂に病に倒れてしまった。東国の旅から帰途西行は、ここを過ぎて、宿から三丁ばかり東の庵に一夜を乞い、庵主から西住がこの庵に逗留中に病死し、笠を残した話を聞いて、「笠はあり身の果いかなりぬん哀れはかなき天が下かな」の一首を残して都に上っていったというのである。



●宿の成立/江戸時代の宿/宿場の様子
●十石坂観音堂/小野小町の姿見の橋/五智如来像



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